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■BCP(BusinessContinuityPlan)・・事業継続計画。災害時に特定された重要業務が中断しないこと、また万一事業活動が中断した場合においても、目標復旧時間内に重要な機能をを再開させ、業務中断に伴う顧客取引の競合他社への流出、マーケットシェアの低下、企業評価の低下などから企業を守るための経営戦略活動。具体的策としては、バックアップシステムの整備、バックアップオフィスの確保、安否確認の迅速化、要員の確保、生産設備の代替などの対策を実施する。

■震災アーカイブ・・震災関連の情報を集めたデジタルアーカイブ。様々な震災に関連する記録をデジタルデータにより収集・保存・利用(提供・公開)することにより、防災・減災、学術研究、復興に向けた取り組み等への活用を目的とする。

5-1. BCPの策定

私は東日本大震災が発生した2011年に事業継続計画を体系的に学ぶため、事業継続推進機構(BCAO)の事業継続初級管理者セミナーを受講していた。その中で最も講師が強調していたことは、「BCPを策定し、中核事業の施設・設備が復旧してもキャッシュフローが回らなくなり倒産した企業が多くある」ということだ。そうならないためには「営業活動は平常時と変わらず動かし続けること」「受注残の納期を守ること」そのためには「全ての人と時間を復旧に投入してはならない」ということであった。この話を思い出し、作業場の復旧には営業部員を充てずに行い、営業部員にはお客様の状況を収集する役割をさせた。

ま た 同じく2011 年には 、中小企業庁のBCP策定様式をダウンロードし計画書を作成してみた。概要をつかむ目的であったため組織への落とし込みはしていなかったが実践的な運用を少しは練ることができた。

安否確認に関しては、社員全員に会社携帯を持たせており、ショートメールで連絡することができた。緊急連絡網は日頃常に更新して配布していた。九州は台風が多いため緊急連絡網の活用度が他地区よりも高く常態化できていた。

マスコミの報道では、益城町、南阿蘇村と熊本城の被害が大きく報道されていたが、熊本市においても多くの施設が被災した。全壊判定のオフィスビルやマンション、校舎もある。日常利用するショッピングセンターや公共施設などの大型施設は本震で天井パネルが落下している。カーディーラー等のショールームのガラスは割れ、多くのオフィス内においてはキャビネット類が将棋倒しになった。被害は上層階に行くほどひどい状態になる。図書館でも同様に棚が倒れ、本が散乱した。震度6強を超えると天井パネルのような建物の非構造部材や書棚のような備品が凶器にかわることが如実にわかる。書類の「重さ」は揺れを増幅し、倒れた書棚が直接的に人へ危害を与える。また建物の内装を破壊する。増幅された揺れは建物の構造部をも破壊するのだ。直下型地震の衝撃は大きい。

幸い死者負傷者の数が少なかったのは、多くの人々が活動していない深夜に起きたことと、前震の翌日であったためさまざまな対策がとられたことが大きい。また、自衛隊・消防・警察も熊本に集まってきており、事実1709名もの生存救出が行われた。

前震がおきずに昼間に本震が直撃していたら大惨事になっていたと県民誰もが思っている。

※撮影:富士マイクロ株式会社・久永耕三 複製禁止

外壁に亀裂の入った10階建物件(熊本市中央区・2016/8/16)

119世帯・11階建て物件

(熊本市東区・2017/4/16)

落下した天井が運び出された店舗

(熊本市東区石原・2016/4/20)

天守閣の復旧工事が始まった熊本城

(熊本市中央区・2017/4/23)

5-3. BCPにおける最も大きな脅威

初めて体験した震度6強の衝撃は想像以上であった。体験して初めてわかったのは、防災対策やBCP策定時に体験したことのない脅威をリアルに想像出来るかどうかということだ。策定メンバーの想像力の差、認識の低さが最大の脅威だと考えられる。弊社でもこの教訓を生かしBCPのあり方を今一度見直し組織に落とし込んでいく方向でいる。

日本の国土の成り立ちを考えると、熊本で起きていることは、長い時間をかけて各地で起きていくことと思う。この日本で生活し、仕事をし、暮らしていくならば、「自然災害と共に暮らす」覚悟と、「自然災害から暮らしを守る」仕組みを作り備えることが大切であると改めて感じている。

本震当日、会社の緊急処置を済ませた後、帰宅すると既に近所の人たちは安全な場所へ避難していた。自宅は河川に近く、記録的大雨予報も出ており、水害と余震による自宅の倒壊を恐れ、私も近くの病院の駐車場に空きを見つけ車を停めた。家族4人、2台の車に2人ずつ別れ豪雨の中、朝まで車中で過ごした。前震、本震、車中泊と眠れぬ日が3日続いた。誰もがみな戦々恐々とした精神状態になっていた。そのあとも地震は続いた。大きな揺れが起きると建物の外壁タイルや瓦などが落下してくる。ブロック塀も倒れてくる。自宅などの普段の駐車スペースは決して安全ではないため、公共施設や大型店舗などの駐車場や空き地は車中泊目的の自動車であふれていく。ひとつのマンションの住民の車だけで避難所やスーパーの駐車場が埋まってしまう。安全な駐車スペースを確保することは容易なことではなかった。

2016年(平成28年)4月14日前震、16日本震が発生した熊本地震。益城町では2度の震度7を観測しました。富士マイクロの本社と私の自宅は熊本市東区にあり震度6弱、震度6強に襲われました。熊本地震の体験と県内の被災地の写真を震災アーカイブとして記録します。

○熊本市内のマンションの被災状況

(全壊マンション19棟・大規模半壊21棟・半壊52棟、14棟が解体された)

○熊本市内のショッピングセンター・大型店舗の被害

○熊本市動植物園 (熊本市東区健軍・2017/5/14)

↓タイトルをクリックするとグーグルマップと連携する画像もございます。

○墓地の被害

○地下水への影響

○震災後1年たった南阿蘇のリゾート地 

○熊本市の小中学校の被害状況

復旧へ向け足場とシートで覆われた

(熊本市中央区・2017/5/30)

熊本地震により被災し休園していたが、2017年2月25日より土曜・日曜・休日のみ部分開園された。下記は未開園部分を公開した被災状況見学会時撮影。

↓タイトルをクリックすると地震直後に撮影されたGoogleストリートビューが表示されます。

「天守閣」は、2021年3月24日に、「長塀」は2021年1月29日に復旧工事完了。

復旧工事が完了した「天守閣」

(熊本市中央区・2022/4/3)

復旧工事が始まった「戊亥櫓」

(熊本市中央区・2022/4/3)

復旧工事が完了した「長塀」

(熊本市中央区・2022/4/3)

【1】本震 2016年4月16日 土曜日 午前1時25分

【5】事業継続計画(BCP)の策定・実施

【4】「熊本市」の被災状況と施設内に潜む凶器

【3】眠れぬ車中泊

【2】出 社

【追記】2022 年4月の熊本城(熊本地震から6年) 

【6】熊本の復興に向けて(2017年6月 熊本地震から1年)

熊本の復興には長い時間がかかると思われる。イメージ情報業として、

この熊本地震の後世への伝承のため、復興までの記録の収集・震災アーカイブの構築と熊本地震デジタルアーカイブの推進、また起こりえる災害から貴重図書やバイタルレコード・企業情報の保護、紙書類の重さに起因するリスクの解決策としてのペーパーレス化を推進し、熊本の復興に貢献していきたいと考えている。

最後になりましたが、このたびの熊本地震被災に際しまして、各方面からのご厚情に心より感謝申し上げます。また余震の恐怖と環境の大きな変化で自宅の片づけも進まない中、職場の復旧に取り組んでくれた従業員にも感謝します。直下型地震の理解と備えのご参考になればと思います。

4月15日は、前震(4月14日21時26分)の後片付けと余震の備えを終え、床に就いた。

寝付いた数時間後、翌16日午前1時25分、大きな揺れで目が覚めた。熊本地震本震発生時の揺れは20分間止まることなく続いた。会社と自宅のある熊本市東区で、本震後30分間に震度6強1回、6弱1回、震度4を4回、震度3を6回をはじめ18回の連続した地震を経験した。益城町は2度目の震度7に見舞われた。ラジオでは津波警報がでており、市民病院倒壊の恐れという報道もあり、阿蘇を震源とする地震の発生、阿蘇大橋の落下という大惨事が、朝まで次から次へと起こった。地面からは大きな地鳴りがし、ひっきりなしに緊急地震速報のチャイムが携帯から流れ、そのたびに身構えた。

気象庁の記録を見ると朝の7時までに133回の地震が発生していた。

後の社員の話では、連続する地震の中、津波を恐れ5人乗りの車に家族7人乗せて高台まで避難した者や、両親と連絡が取れず実家へ安否確認に出かけた者、屋外に避難し瓦やモルタルの落ちる音を聞きながら過ごした者、車の中で過ごした者などさまざま居り、それぞれの環境下でそれぞれ状況を判断し激しい揺れから身を守っていた。皆、身を守ることだけで必死だったと思う。避難所は、すぐにいっぱいになり連続した揺れにより体育館の中も安心していられる状態ではなかったとのことだ。

16日土曜日は出勤日であったが、危険なため社員が出社しないよう、明け方の5時過ぎには出勤停止のメールを配信した。しかし私は、点検のため7時過ぎに会社に向かった。震源地である益城町から本社は6kmの位置と近かったが、4階建ての社屋の外観はとりあえず問題ないようだった。しかし2階に設置していたL型カメラは20cm以上も移動していた。現像機は倒れ、液が床にこぼれ、酸の強烈なニオイが立ちこめていた。社屋の3階4階では、連結したキャビネットや棚の倒壊により、機器の破損やファイルの散乱もおきていた。このような状況ではあったが、幸いお客様からの預かり品や納品物は、1階の耐火書庫に移動させていたため被害がなく、その点においては胸をなでおろした次第だ。こぼれた現像液などの対応のため、出社可能な社員を集め緊急処置を施した。社内のインフラに関しては、停電はおきなかったが、断水は2週間続き、そのためマイクロフィルムの現像はようやくGW明けに可能となった。

○熊本城アーカイブ  制作:富士マイクロ株式会社  時間:53秒

↓「天守閣」が復旧するまでの5年間にわたり31回定点撮影した画像を動画にまとめました。

5-2. BCPの想定外

地震後の生産活動に大きな影響をおよぼしたのは、意外にもパート従業員の出社時期の遅れであった。学校の再開に3週間以上かかったため、子供のいるパート従業員の多くは、地震発生から一か月以上経った5月の中旬の出社となった。学校の再開に時間が掛かった理由は、余震が長い期間続いたため危険であったこと、校舎の被災、多くの市民が学校に長期間避難し続けていたことなどがあげられる。

学校の再開の遅れが事業継続に影響することはBCP策定時に全く想定できなかった。 

富士マイクロは、SDGsの趣旨に賛同し、

震災アーカイブを通じて歴史の伝承し減災活動を支援し

持続可能な社会を創ることに貢献いたします。

「熊本城復旧基本計画」において復旧工事完了予定は、2037年度とされていたが、熊本城復旧基本計画検証委員会で見直しが行われ、復旧完了予定は2052年度と変更された。

二の丸から望む「天守閣・宇土櫓」

(熊本市中央区・2023/3/29)

撤去された「戊亥櫓」

(熊本市中央区・2023/3/29)

石垣復旧中の「飯田丸五階櫓」

(熊本市中央区・2023/3/29)

【追記】2023 年 春の熊本城(熊本地震から7年) 

復旧工事が始まった「宇土櫓」

(熊本市中央区・2023/3/29)

北大手門跡側から戊亥櫓への石垣

(熊本市中央区・2023/3/29)

元太鼓櫓跡から未申櫓への石垣

(熊本市中央区・2023/3/29)

【追記】2024 年4月の熊本城(熊本地震から8年) 

「監物櫓」(国指定重要文化財)は、2023年12月復旧工事完了。「宇土櫓」(国指定重要文化財)は、素屋根に覆われ解体が始まった。復旧予定は2032年度。

KEYWARD

富士マイクロ危機管理関連サービスのご紹介

熊本地震関連記録リンク

防災に役立つリンク

制作 熊本県知事公室危機管理防災課 2021年11月更新

制作 東京消防庁 2022年3月発行

「直下型地震と富士マイクロのBCP」

熊本地震震災アーカイブ 

富士マイクロ株式会社 代表取締役 久永耕三

【手記】熊本地震を体験して・・・